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十月二十二日 [川]

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昨日東京は江戸川橋あたりを散策した。松尾芭蕉ゆかりの治水工事がこの辺り上流にかけて行われたという。川は神田川だろうか水面の波紋が美しい。川沿いから神楽坂にかけては今も印刷屋さんの制作現場だ。川沿い椿山荘あたりの着物姿の二人連れ。永青文庫の企画展に出かけられた後ろ姿だろうか。
この辺りの地名も美しい江戸の旧名を町の名に辿ると江戸にタイムスリップしたかのような世界だった。

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             水に浮く桜の葉影や秋深し     無音  






 

十月十一日 [川]

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ぞうさん の歌をふと思い出した。ぞうさんぞうさんお鼻が長いのね 誰がぞうさんに、話しかけているのだろう。小さな女の子かな?。そうよ 母さんも長いのよー
はて、人間の母さんだと今まで思っていた。
母さんも長いのと言っているのは誰。あまり深く考えていなかったけど、まどさんは、何を考えて作詞したのだろう。少しだけ気になった。

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十月十日 [川]

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大学内の蛸壺化し、より専門家する話があった。医学の分野でも、専門化が進み、全体像が捉えにくい、一方企業は、グローバル化で吸収合併が加速し、より巨大になる。国家は分裂し、民族紛争で細分化する。何故宗教も分裂を繰り返し細分化するのか。何故宗教は、合併し世界宗教にならないのか?今朝から考える。水14.jpg

十月九日 [川]

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川の流れの中の一コマ。激しく激流のように流れる水。気持ちが高ぶるが美しい。
怖いくらいの姿が潔く感動をするのだろう。あの激流の中にあったらこんな考えは生まれはしない。遠くからの傍観者だから言えること。
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            激流に流される夢の外は秋 ムオン






乗物孝 [川]

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かつて
河川や海が重要な道であった時代はすぐそこにあった気がする。
芭蕉が奥の細道に旅立った時代。乗物は徒歩か馬か舟か駕篭であったろう。
石川五右衛門のように凧で高見から下界を眺める事はまれな事であろう。
浮世絵の中で 上空から俯瞰する構図の想像力はどこから生まれたのか。
海の道、川の道、陸の道、山の道、野の道、里の道、村の道、魂の道、
現代の乗物を見ていてふと思う
人は脳味噌を拡大して世界は小さくなったと錯覚した
人は脚の延長を拡大し世界の移動時間を短くしたと錯覚する
便利さと引き換えに果てしなく遠ざかる世界がある
利益と引き換えに果てしなく切なくなる世界がある
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哀切と痛切に出会えた季節

瞬間の累積 その3.鴫立庵 [川]

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明治26年 今から116年前の大磯 鴫立庵 西行ゆかりの草庵は江戸元禄より少し前に開かれた。西行法師没後500年近くが経過していた。それから300年、約八百年の時間が 歌枕でもある鴫立澤に流れている。澁澤篤二氏は当時22歳。心なき身にもあはれはなかりけり鴫立澤の秋の夕暮れ 三夕の歌として知られる。
定家の 花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ この歌のが好きだ。
何も無いからこそ 何かが見える 鮮やかに!
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30年程前の鴫立庵光景
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2009年 平成の鴫立庵
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最近みかけにくくなった 露草

蛍の川 [川]

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朝用事があり川の上流迄出かけてきた。6月の初めには蛍達が飛び交う川のほとりには竹林が多い。隠れ里のような山への道は清々しく爽やかである。山本丘人さんの弟子のKさんのアトリエが川の中流にある。昔このアトリエでアカショウビンの鳴き声が聞こえるとバードウオッチャーの仲間が言っていた。竹の陰にキラキラと真昼の蛍、あめんぼうが光っていた。
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源氏蛍が竹林や薮の中にまもなく登場する季節です。昨年はおもわずストロボを焚いてアップで蛍君を捉えてごめんなさい。稲光と一緒で驚かないと思ったがいけないそうですね。
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暗闇に二つ光る蛍は危ないと子供の頃は言われました。それが蛇の目であるそうだからです。
子供の頃東北の田舎で蛍を捕ってきて蚊帳の中に放した事を想いだします。朝には布団の上でしんでいました。白い敷き布団の上に小さなカラス蛇がとぐろを巻いていた時があり驚きました。蛍の精が蛇になるとは思えないのですが。蛍の軌跡は儚いものです。
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花水川に掛かる橋 [川]

花水橋.jpg花水木橋.jpg花水鉄橋.jpg下から花水川に掛かる東海道線の鉄橋、その下流南にある下花水木橋、高麗山の麓の東海道(国道1号線)の花水橋。川の流れる様に、橋はいろんな人たちの人生をのせて流れている。昔八王子方面から船で下って高麗山の桜を見に来た一行がいたそうだ。そう高麗山の麓では近世に製糸工場も出来た。その昔若光という高句麗の王子達がこの山を目指してこの地に上陸した名残で、高麗山の南の麓には高麗という一族の八角型の石の墓群がある。秦さんという名も刻まれた墓標がある。これからの季節、山が春霞でかすみ、新緑を海からの霧が山の上まで包み込む雄大な光景が見られる、いい季節だ。
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