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12月25日 [祭]

昨日はクリスマスイブ、でもこの町では達磨市が有名だそうです。
夕方早い時間で人影はまばら、コンビニの前ではクリスマスケーキ。
昔から12月24日は湘南大磯では達磨市で、正月飾りや達磨が売られてきたそうです。
何かとても懐かしい日本の光景を見てきたような気がしました。
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このゴボウ締めも国産であって欲しいのですが。

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めで鯛気がする色の海です

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ヨーッ チャチャチャン チャチャチャン チャン

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客待ち顔のだるまたちです

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旧東海道の一角、茶屋町あたりに並ぶ達磨市です

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正月飾りも正統派です

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広角レンズの21ミリ使用。


11月08日 [祭]

湘南大磯山王町の松並木で、6日大磯宿場まつりが開催されました。
アンダー気味で深い色の世界で、遠い江戸にタイムスリップしたような世界を狙ってみました。_IMP9537.jpg_IMP9535.jpg_IMP9534.jpg_IMP9509.jpg_IMP9516.jpg_IMP9508.jpg_IMP9541.jpg_IMP9567.jpg_IMP9590.jpg_IMP9614.jpg

  宿場にも秋の気配か白きもの  無音

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8月23日 [祭]

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ブラジルのオリンピック大会が終わった。祭りのあとの、静けさと、一部熱狂した世界の人々の余韻が残っている。都市同士が争い、その束の間の休戦協定から五輪大会は生まれたという。自分も熱狂した一人だが、世界では熱狂の別世界にいる人達の数のが多いのではないか。空席も目立ったという競技の会場、スマホやテレビ、ラジオの観戦者は、結構多かったのではないか。中継のカメラの映像技術は素晴らしい。超現実的な夢の世界のようだった。その夢もマリオに扮し地球の裏側から現れた某国の首相の顔で興ざめした。都市の代表でなく、その国家が次は仕切る大会なのか。スポーツマンと政治家何か別世界の人の気がする。
メダルの数を競って、自分が取ったかのように発信するマスコミのしつこさ。見なければいいのに、これらを見続けた自分が悪いのだろうか。
祭りにも心洗われる祭りと、経済第一主義の祭りの二つの側面がある。
原点に帰り、祭りが果たすべき役割を、何に求めるのがいいか深く考えたい。
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岡本太郎は言った。駆けっこで一番になるよりも、ビリでも一生懸命走ったその力こそが本当の一番だと。
世界には、様々な暮らしがあり、その中で一番を目指す人がいる。
一つの競技で順位付けもいいが、そうなったら私は、100メートル競争で、7805967位くらいです。
次のオリンピック、世界中の人が同じ時間に100メートル競争のタイムを競う。画面に、貴方は世界第何位ですと表示される。そんな世界があるかもしれない。でも大丈夫です。多様性の世界では、貴方の順位が高いものが見つかるはずです。

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早食い選手権、居眠り最長選手権、駄洒落選手権、などなど多様。
スポーツの語源は、暇という言葉から、身体を使うスポーツと、頭を使うスクールという二つの流れに別れたそうです。
頭脳のオリンピックは、何なのでしようね。

7月17日 [祭]

今朝は町内をやってくる触太鼓の地に響くような音で目覚めた。
竹のザルを持ち、町内の家々からお捻りをいただく触太鼓。軽トラックの荷台に乗せられやってくる。
各町内を回る軽トラの上には提灯が揺れ、町名を染め抜いた藍染の布が巻かれ組まれた太鼓と紙の花飾りが子供たちの頭上にあり、子供達が太鼓を打ち走り回る。

700年の昔にはこの町には軽トラも、マイクも、電気も、テレビも、インターネットも当然なかった。
想像するにたくさんの船はあったろう。船で漁に出て、その漁の収穫を離れた地まで船で運ぶ。

浅草浅草寺の観音様が海からあがった詳しい由来はわからない、でも何か祭りの発生とその時代における変化と、変わらないもの、変えてはいけないものが、心の底に湧いてくる。
自分が生まれる何代も前から、その祭りは伝えられてきた。何故と問えば、昔からそうだったから、何故と問う必要のないと、地元の人は言う。

700年の昔から変わらない人々の思いと、形を表面的には変えてきた祭りの姿を思う。
700年後もこの御舟祭りはどんな姿を変えて存在するのか。
100年程前のレンズで今日の祭りを覗く。

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  祭りには灯りが似合う江戸の夏   無音

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昔舟で、高麗寺の東を流れる花水川から相模灘に出て、照が崎という地名の千手観音の発見場所へ行き、神事を行いまた寺に帰るというお船祭りは、いつの頃からか陸路をいく飾り船に置き換えられたという。海をあがった飾り船は下町の通りを2年に一度曳き回される。今年はその船が出る本祭り。

  山車や神輿が船に乗って行進する様を思い浮かべ、その船が軽トラックになり地上を行進する様を頭の中で描いた。流れ仏の信仰は、どこで生まれたのか。海の底が輝く夏の日の情景を思い描いた。

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   はためく夏祭色気ありて路地へ 無音

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  どっこいと神輿起き上がり揺れる夏 無音

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  笛太鼓夏の夜更けに消え去りぬ  無音

7月16日 [祭]

神の道.jpg祭りの前に.jpgR0148707.jpgR0148697.jpgR0148696.jpgR0148695.jpg

今日と明日は、700年前から続く御船祭というこの町の下町の祭。
旧東海道の松並木に注連縄が張られ、いつもの街道が聖なる道となる。

7月05日 [祭]

平塚の七夕祭りの準備中のメイン通りを通った。大きな丸太と太い竹を何本も組んで滑車をつけて、骨組みが出来ていた。明日は大きな飾りと吹き流しが飾りつけられるのだろう。祭りの前の静けさ。

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1月11日 [祭]

今日は正月飾りを積み上げ、一年の息災を願う左義長がこの町の下町地区であった。無形文化財に指定されている大規模な団子焼き行事だ。12月8日の八日節句から始まり、目一つ小僧が集落の一年間にあった人々の記録をつけた帳面を来年の1月15日まで預かってくれと、集落の道祖神に渡す。預かった帳面を、考えた挙句道祖神は自分の家ごと燃してしまうというのが、団子焼きの起源だそうだ。左義長はこの町に住んだ伊藤博文公の側近が、萩出身なので団子焼きを見て、これは左義長だと言ったことから、大磯のこの地でも左義長神事と呼ぶようになったという。左義長は平安時代から京都で行われてきた正月の神事だという。毎年1月14日の晩に行われてきたそうだが、最近は最寄りの休日か祭日になった。そのため11日の今朝からサイトという大竹を立てた周りにワラ縄で大きな黒松を芯に正月飾りを積み上げたものが、九箇所の集落分出来上がる。
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海辺に近く立てられるサイトはセイトとも呼ばれ、聖なる塔の意味か、そのセイトを祓うことでセイトバレエとも団子焼きは呼ばれる。セイトは今年の恵方に倒れるのが良いとされ、今年の恵方、南南東に曳き綱が張られている。集落の道祖神さんはこの日は海岸へ呼び出され、地方によっては火の中へ焚べられる。この町の左義長では、ソリが出てその上に道祖神さんのお札の入った社が載せられ、海に入る。昔は子供隊がソリに乗り海に入ったが、少子化の最近は大人達が入る。海側と陸側で此のソリの綱で綱引きをしたそうだが、最近はソリの上の縄で組んだ社を火に入れるだけで、綱引きは形だけになった。1月14日頃は満月の日が多く、隣の韓国でも満月の日に盛大な綱引きが行われていた時代があるという。海岸に並んだサイトは何か縄文時代の家のような懐かしい思いもしてくるのが不思議だ。

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火が入るのは七時だったが、今は三十分繰り上げて六時半に決められた家の方が点火をする。舞い上がる炎が今年一年の希望の火であり、戦場の火にも見えて来る。紅蓮の炎は人間の情念のような、神聖な神の火でもあるように天に向かう。この日は千枚近くの左義長を撮っていた。明日に続きます。


十二月八日 [祭]

今日は暮れも押し迫った8日、古くは日本全国で八日節句という行事があったらしい。
二月八日と十二月八日を、八日節句とかコトヨウカといいます。二月八日をコトハジメで十二月八日をコトジマイとかコトオサメともいいます。鬼よけ、悪魔よけが目的の行事です。この日には一つ目小僧がやってくるなどといわれます。竹竿の先にメカイ籠(かご)を逆さにつけ、母屋の軒先に立てかけました。一つ目小僧が来て籠目が一杯あるメカイ籠を目が一杯ある怪物と勘違いして逃げていくといいます。
2月の節分でも追儺をして、軒先に柊の葉のついた枝とめざしをつけました。

今日は湘南のこの町では、来年盛大に正月飾りを海岸に積み上げて火にくべる、どんど焼き(左義長)の祭りの初日です。八日節句には子供達が町内を回り、「一番息子」という不思議な所作が行われます。
古くからの漁師町である下町の集落では、江戸の中期、享保年間あたりに盛んに道祖神が祀られました。集落の境で入ってくる疫病や、災いを防いでくれる神様であり、地蔵と同じく子供達の親しい守り神でもあったそうです。道祖神は石で作られ様々な形です。その道祖神さんの周りには五輪の塔や、その残欠、他集落にあった石塔なども寄せ集められ供養されていました。8日の朝集落の道祖神の祠の和えに集まった男の子たちは、祠にお参りし、ゴロ石という赤子の頭くらいの大きさの丸い玉が二つ繋がった石の中央の窪みに縄をつけ、集落の家々を巡ります。「一番息子 誰々さんのお嫁さんが早く来ますように」とか「誰々さん家に良い年が来ますように」とか、その家の願いを聞いて子供達が囃します。昔は男の子が七人も八人もゾロゾロとゴロ石を引いて歩いたそうですが。少子化の現在子供隊には女の子も混じり少数で、おまけに学校があるから、行事も土曜日か日曜の朝に延期する集落が多いようです。家々は子供達に、豆腐とお菓子やお礼をします。豆腐は大豆でできていてマメに暮らせるようにとのことだそうです。ゴロ石はなぜ出来たのか、五輪の石塔の上二つを使うという話も聞きました。
そのゴロ石を家々の地面に叩きつけるようにして、願いを込める、「一番息子」の季節です。

柳田國男が柳田家のルーツは湘南の西小磯付近ではといった「故郷七十年」という本があります。一つ目小僧の考察で、鍛冶屋の職業の人々、栄養からくる幼児の一つ目、何度も考察を重ねた経過が興味があります。目が一つの顔は、額の第三の目の辺りに位置するのでしょうか。亡くなった水木しげるさんの「目玉おやじ」も一つ目の仲間でしょうか。画家ルドンの一つ目も印象的です。

そうそう今夜は、履物も丁寧に家に入ってしまわないと、外に履物が脱ぎ捨ててあると、目一つ小僧が帳面に記して報告されてしまうのだそうです。履物もきちんとはきなさいという暮らしの知恵から生まれた優しさなのでしょうね。

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一月十四日 [祭]

2015年1月14日旧吉田茂邸付近からの富士山。
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大正8年のこの日、左義長どんど火禁止。松飾りなど窃盗の悪習を矯正のため。
昭和4年のこの日、大磯名物左義長、数百名の漁師が寒風の中綱引き。
昭和7年、萩原井泉水は大磯に行き、左義長を見る。
昭和16年、島崎藤村は、天明愛吉、菊池重三郎等に誘われ左義長を見る。
安田靫彦と、中勘助も同行。
昭和17年、中勘助、大磯在住となった島崎藤村と左義長を見る。


一月十日 [祭]

大正十二年横浜新報、一月十日の記事より。今年は寒い!十日過ぎても大磯に318名の客あり。この年の正月は寒くて避寒客が旅館等に多く居残っていたのだろう。避寒した人々は時間的にも余裕が取れる人々だったのだろう。
大正十五年(1925)のこの日の記事、人口が激増大磯町2017戸9407人、一戸あたり家族が5人弱。国府村752戸4207人、一戸あたり6人弱。当時は多い家では10人家族もざらにあったであろう。
昭和4年大磯では鰤二百余尾の大漁。相場は7円の高値。当時の相場で一尾一万円はゆうに超えていたようで二百万から二百五十万円近くの水揚げ相場の感覚に思えます。
昭和8年、大磯の瀬の海の棚を荒らす、愛知県からの20トン級の木造漁船あらわる。漁場の権利は確立されていなかったのだろうか。激しい対立の空気が読めるのだが。
昭和14年平塚国府間の複々線化工事実施、15年からの4カ年総工費400万円。
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平成27年1月10日湘南大磯の下町を歩いた。下町はかって鎌倉古道もあった時代からの漁師町で正月行事の「団子焼き」が、「左義長」という名に明治の頃から変わって数百年に渡って行われている。近年祭りのクライマックスの火祭りが、昔からの一月十四日の晩でなく、土日に開催と変更された。人手不足と観光的な側面の二つがあるようだ。道祖神を祀る子供達が主役の祭りだったが、少子化で祭りの担い手の構成も変化したようだ。
御仮屋(オカリヤ)という小屋が建てられ、道祖神さんがオカリヤで三日間過ごし、十四日の朝浜に出てサイトという火祭りの準備が始まる。三日間は7箇所の地区のオカリヤを詣でることを「ナナトコマイリ」といって全てを廻ると無病息災が約束されるという。明治に大火があり下町の一部の人たちが東に移転して8箇所がお参りの場所となっている。
画像は浜の町という集落のオカリヤと、神を招来するアンテナの役目のようなオンベダケ。オカリッコと呼ぶ子ども達の囃子声には欠かせない太鼓と、主役の双体道祖神さんが鎮座している。朝日の中吹き流しが風に音を立てている。今年も良き年であるよに老若男女オカリヤを廻る人々が今夜のナナトコ参りを終え、明日日曜の晩に海岸につくられたサイトに火が入る。島崎藤村も昭和16年の一月十四日の晩に左義長を見て、この町に住むことを決めたという。
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