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03月10日 [俳句]

俳句と写真のコラボの実験
ウグイスからイスを引くと   ウグ!
ひと声を、一鳴きに変えた後の静寂

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01月29日 [俳句]

IMG_1774.JPG俳句は、連句の最初の発句が独立して、17文字の世界になったそうだ。連句の世界は、連歌という和歌の世界から派生し、和歌は長歌という中国古代の世界から伝わって変化して来たという。
確かに長歌が短歌となり、俳句まで繋がる歴史面白い。

世界は短い言葉で動くようになつているのか。膨大なデータより、一言呟く世界が最大の影響を与える。壁を築く事や、強い国家、進歩、明るい未来を目指す。

理性よりも感情が先走る。理性と感性は天秤にかけるものではなく、表裏の関係にあるはずだ。
刹那的な世界観がはびこり、長い歴史を忘れた世界は、醜く、寂しい。


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一週間は速いものです。何か書きたいことも書ききれません。様々な愛しい時間、愛しい出会いがあったことだけは確かです。松尾芭蕉は、連句の世界の決まりごとに、後には戻るな!繰り返すな!と連なる句の世界の覚悟を言っています。素晴らしい覚悟です。
当たり前の世界観なのですが。
過去の栄光は、決して繰り返さないのです。明日はわからないから素敵なのですね。冬の終わりは、必ず来る事信じています。抽象的な事ばかり書き込みました。今は冬の時代なのか。

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庭先に苔の緑が春の予感です。ここ一週間でフキノトウを10個近く散歩の道すがら見かけました。

ポケットに蕗の薹あり空燃えて  無音





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10月14日 [俳句]

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先日久保田万太郎さんの俳句で、おんなかんな女かんなの寒さかな
という句を思い出した。何か不思議なリズム感の句なので気になっていた。
青空文庫に、ずばりカンナとオンナと題した、陶芸家の魯山人のエッセーがあつた。
詩人の前で、削り節を削る魯山人。
オンナカンナと呟く詩人。詩人は万太郎その人ではないだろうか。
以下 青空文庫より

わたしはビールを飲む。詩人はウイスキーを飲んでいる。わたしは、出来上がった料理にかけるため、かつおぶしをけずる。カンナを使ってけずる。詩人は、目を見張っていう。「先生、ずい分、立派なカンナですね。まるで、大工が使うような、カンナですね」「これは、大工たちが使うカンナの中でのいちばん上等だよ」「へえ、もったいないですね」「どうしてもったいないのだ」わたしは、不思議そうに詩人を見た。"

「そうですかね。先生、オンナも、カンナと、同じですね」「どうして」「いい女房をもらっておけば、一生味がよくて経済的ですね」「ハハ……なるほど落語の落ちだな。オンナとカンナと似ているね」わたしはビールを飲んだ。詩人はウイスキーをなめつつ、「オンナとカンナ」と、うたうようにいった。"




10月12日 [俳句]

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ぴゅるぴゅると小指の先の唐辛子 むおん

数年前の冬に作った句です。風の音と、赤くなった小指の先が唐辛子のように思えてきたこともあったようです。

今日は家中の短冊を入れた額の中の句を、変えてみました。

久保田万太郎さんの、平仮名が点々と雨だれのように書かれた

おんなかんな女かんなの寒さかな 万

という句が好きです。殴り書きのようん書かれた文字の短冊は真筆かどうかわかりませんが、その拙さゆえに本物のように見えてきます。



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秋の空から 雨が流れて居る坂 裸木

大橋裸木さん、「陽に病む」と一番短い句を読んだ人でしたっけ。らぼくの文字の裸は、あっていると思いましたが。 


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8月28日 [俳句]

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ひまわりのお天道様と語る色   むおん

昨夜も夢を観た。トイレに真夜中に起きて、その後また夢の続きを見た。頭の中は、先程まで夢見ていたのを憶えているのか。再び夢の続きを観れる。

夢の内容は、エレベーターの登場が此処1年くらい多い。其れも五、六階の小さなビルの古びたエレベーターの登場だ。一階に降りようと乗ってから間違えて二階か三階のボタンを押してしまう。開いたドアーの先の廊下からの階段は下に向かい螺旋状の暗い階段で怖くなる。いつも出口まで出られないような迷路のような夢だ。夢の中の時間帯は夕暮れから夜にかけての暗闇が主役。すれ違う人影も誰かはっきりしない。何か不安に満ちた夢。
上昇するエレベーターの夢でなく、一階の出口を求める夢は何を象徴するのか。乗り物を乗り継ぎ焦りながら何処かへ向かう夢もよく見る。夢判断は好まないが、何か脳の中では何かに繋がる仕事をしているのだろう。

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何か潜在的に気になることがあると、脳も其れを探し出す作業をするのだろうか。家の窓の設計が気になったとき、街を歩くと窓だけが眼の中に飛び込んできた。窓以外が消えて、眼の中に窓の形や、色や、材質や、コストや、歴史や、様々な窓が飛び込んでくる。窓は一体何のためにあるのだろう。窓の内側と外は何故あるのか。
絵の額縁は何故四角なんだろうかと。
気になることは連鎖する。

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朝のテレビで永六輔さんと大橋巨泉さんの対談模様が映し出されていた。
何故永さんか。
永という文字をじつと見つめる。


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一枚の色紙を揮毫した人の永というサインと六輔の朱印、いつ頃書かれたものだろうか。談志師匠が団子屋の娘と呼んだ人の話。一皿の団子。
六輔氏は団子も、花も、好きだったんだろう。色紙を眺め想いが広がる。
満開の桜吹雪が河にちる光景を思い浮かべ、ラジオ局で色紙に書いた俳人。
葉桜の頃、言問団子の店先で色紙に書いた俳人の姿。どちらも似合う気がする。どちらも違うかもしれない光景。
俳句は作者を離れ、詠む人の世界を豊かにしてくれる。

皿の上の団子は誰が召し上がったのか。皿の上の都鳥だけが知っている。



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気になることは飛び混んできます。
スマホの雑誌から言問団子の紹介が
目に入って来ました。
団子虫のムシの知らせでしようか

    今朝の虫野分の風の音に乗り  むおん



8月27日 [俳句]

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京都は都踊りの有名な団子皿。皿の絵柄が団子だとずつと思っていたのだが、提灯の並ぶ姿と、最近知った。舞台に一直線に並ぶ提灯は確かに花がある。団子の絵皿に団子を載せたら、しつこ過ぎるのもいいとこだろう。

東京の下町、言問橋の言問団子も有名だ。都鳥の描かれた絵皿に三色の団子が並ぶ。串に刺されていない団子は、昔は四つあつたという。通貨が円になった頃から三個になつたという。

この言問団子を詠んだ句に

  約束の言問団子さくら散る   高際君子

という、句がある。約束は誰として、団子を食べたのだろうか。
類句で、以下の句がある。

  一皿の言問団子花が散る     詠人有名人

一皿の団子を、二人で何故か食べている光景が浮かぶ。3個の団子は仲良く半分に分けたのか。一皿の団子を花見時食べる人達は、さまざまな人生を、花を観て想うのだろう。芭蕉翁の句の、さまざまな事思い出す櫻かな のように。

桜が散り、花が散る。花は人の心に散り、桜は人の今に散る。

団子皿の団子の絵の思いは、今も提灯ではなく自分には、団子だ。
ふたつの言問団子の句も、何故か惹かれるだけでそれ以上のことは、皆目わからない。いつか句をよんだときの真相を知ることが出来るかもしれない。

       雨滴が団子のように夏を駆け下りる    むおん


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8月25日 [俳句]

芸人と俳人  という又吉直樹さんと、堀本裕樹さんの新潮社刊の本を読んでいる。
鎌倉の吟行で、又吉さんが詠んだ句

蟻進み参拝後だと悟りけり

が、気になった。俳人の堀本さんは、この句を推敲して

参拝を終へたる蟻かすれ違ふ


とした。鎌倉の寺の苔むした石段で参拝の為、寺へと向かう作者、足元の蟻の向かうのは、寺から反対方向。蟻を擬人化して参拝した人と見立てた。
命あるもののすれ違いの瞬間。

遂行された、すれ違ふという、下句が好きだ。


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本のタイトルの、芸人と俳人という、言葉も興味深い。芸人の仲間に、俳優という言葉がある。俳優の俳は、俳人の俳と同じ。俳とは、人に非ずと書く。俳句は俳諧といった時代があった。俳諧の連歌というものもある。

連歌とは何か、短歌とは何か、長歌とは何か。歴史を遡り、人が唄を求めた頃を想う。


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新聞で、赤と緑の話を読んだ。この2色は極めて近い色なのだそうだ。植物の緑の元になっている葉緑素と、動物の血液の色素のヘムは、化学構造はそつくり、中心のマグネシウムか、鉄かというちがいだけ。

物理学的に、葉から反射される光と、血から反射される光は極めて似る。

犬や猫は、赤と緑を識別出来ないが、人間や霊長類は、識別出来るという。
其れは森の中で赤く色づいた木の実を識別したり、お互いの顔色の微妙な変化も読むことが重要になつたからだという。

赤と緑、不思議な関係だ。福岡伸一 生物学者の動的平衡から



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植物の緑の秘密と、動物の血縁の赤、
何か神秘を感じます。


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  唇の上は紅下は満綠    ムオン



8月12日 [俳句]

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大道寺将司句集   残の月  より



  蝉のこゑ秋津の鬼になれと言う



秋津島と呼ばれた、日本の鬼は、拘束40年の独房生活の大道寺氏の姿かもしれない。

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「英霊」を量り売りする残暑かな










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うき草の沈みし叛意欺かず




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     線量の高きを知らずかたつむり







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   生きてあることの宜しくづくの鳴く






※づく  とはミミズクの事だそうで、深い闇から聞こえてくる、木菟の鳴き止んだ後の余韻が、やさしく共感できる。
画像は、路上採取の宝石たち。



     ぞろぞろとなほぞろぞろと敗戦日


     原発のなかりせばのどけからまし



    差別なき世を夢にしも冴返る












5月09日 [俳句]

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俳句の俳の文字は、人に非ずと書くのは何故なのだろうか。新漢語林には、わざおぎ、芸人、俳優とある。そうか俳優の俳も同じだった。
おどけ、戯れ、滑稽の意味もあるという。常識に背いた一風変わった振る舞い、おどけの意味ともある。
俳諧とは、正統的な和歌に対し、滑稽味を帯びた和歌。
連歌の一体。洒落や俗語を用いた卑俗、滑稽なもの。ともある。

正統な和歌は、呪歌から発生したとも聞いたことがある。




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1974年の夏か初夏のことだったろうか、今から42年前私は大阪にいた。テレビガラスの破片が散乱する路上が映され、東京丸の内オフィス街で三菱重工爆破事件が起きたことを知った。
従姉妹が事件現場近くのオフィスビルの会社で秘書をしていたので電話を入れ無事を確認した。

私が20代の出来事だった。数年前にこの句集に出会うまでは自分の20代を振り返ってみることもなかった。句集の名は「棺一基」2012年の刊。

著者の大道寺将司は、1948年生まれ、東アジア反日武装戦線「狼」のメンバーで、連続企業爆破事件を起こし1979年東京地裁で、死刑の判決、1987年最高裁で死刑が確定、2010年多発性骨髄腫の癌で獄中の闘病生活を送っているという。そんな彼が二冊の句集を出した。

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2012年の句集『棺一基』から
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「棺一基四顧茫々(しこぼうぼう)と霞(かす)みけり」から採られた。霞は春の季語。「四顧」とあるからには、そこにまわりを見渡す者がいる。それは誰なのか? 木棺に横たわる死者か。
 私はここに、霞の中にたたずんで自らの屍(しかばね)が入っている棺をみつめる、死者その人のまなざしを感じる。白い闇が際限なく広がる。その中心に木棺が一基のみ、孤絶に、そこにある。このように死と向き合って一日一日を生きる。それが死刑囚の毎日だ。
「死者の書」を思い出してしまう、生きていることのありがたさが霞の中に見えてくる。
人も獣も生きているものは100パーセント死ぬのだが、他者から己が命を奪われる気持ちは嫌な世界だ。

   生きてあることの宜しくづくの鳴く    大道寺将司

づくとは、ミミズクのことだそうだ。ならば深夜の連想句だろうか。
何か希望と絶望の低音の鳥の声が聴こえてくる。

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命の重みを感じてしまう

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  黴とこそ見ゆるものあり拭いけり   大道寺将司

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      九条も螻蛄の生死も軽からず    大道寺将司




子供の頃、螻蛄(ケラを捕まえては)「お前の憲法どのくらい!」と螻蛄の両手を広げさせ遊んだ光景を思い出す。あの後ケラは大地に戻されたのか記憶がない。









     縮みゆく残の月(のこんのつき)の明日知らず    大道寺将司第二句集より










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