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6月18日 [水]

伊豆へ小さな旅をした。この国かこの星が水の惑星であることを嬉しく思った。
水の姿の様々な気配と、変化を楽しめた旅だった。

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5月29日 [水]

露の玉が三つ葉や、蕗の葉の周囲を飾る。

地に吸わる露の命の光さす むおん



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東京目黒美術館で、高島野十郎展を見た。闇を描きたかった画家の月という作品は、澄んだ宇宙の広がりと、深い深い空気感を湛えていた。

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新宿御苑で描いたプラタナスの木は、今もその木がある喜びを伝えてくれた。
いつかこの樹に逢いに行きたい。

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木賊屹立す天目指し ムオン

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5月05日 [水]

先日鎌倉写真家の方が二年の歳月を掛けて撮られた、熊本は人吉市の或る焼酎酒造の人と自然を捉えた写真集を頂戴した。若草色の箱に、桜色の二冊が納められた、香りたつ様な書肆だ。


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萌ゆルわかく花色香り むおん



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濃き緑の中卓を囲む幸せな春


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笑顔と笑みが初夏に眩しく


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人吉は水の国、酒香る夏


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地震で人吉市の役場も使えなくなったというが、酒造は無事だった様だ。香りの酒を求めて支援の気持ちにと。ネットから注文しよう。

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4月25日 [水]

初夏になると、ガラスの鉢にメダカを放って机上で眺めます。水の中の世界と、大気中の世界との対話です。



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十一月九日 [水]

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先日箱根仙石原で見かけた光景。秋の日差しで何か今までに見たこともないような光景。
川は彼岸をも垣間見せてくれるのか。箱根堂ヶ島でデジャブ坂という興味深い道を歩いた。いつか来たような道またはいつか歩く道。

水の惑星は美しい。

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              過去も未来も水で洗って流す秋   むおん








  








十月八日 [水]

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昨日の湘南バイパス道路から見た相模灘はエメラルドグリーンの海の色と、深い冬の兆しの深い藍色に分かれて流れていた。大きな潮の境目はすごい速さで、水が移動しているのだろう。海流という言葉を思い浮かべた。海の色は季節で変わる。「海の色は日射しでかわる」と言ったのは高田保という土浦出身の評論家で、湘南のこの街を愛し、魚が好きだったという。魚好きの作家のためにこの街の漁業組合長だった方が、魚をいつもと作家に届けたという。その組合長は北海道小樽の出身で、この街に来て鰤漁の差配は一流中の一流で捌かれたという。
北海道小樽と言えば、アオバトの海水吸引が初めて目撃された地だという。神奈川県の大磯も今ではアオバトの飛来地の海岸で有名になった。
十月には南の地方へ渡りとして飛んで行ってしまうアオバトだが、小樽あたりのアオバトはどこまで南下して越冬するのだろう。





        アオバトの群れ秋を飛び京の地へ   ムオン



        

        ノーベルの火薬完売し平和買う     むおん






        てぐすねをひけどうらなりからすうり  中原道夫






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2015 箱根湯本の水の流れ。水の惑星とつくずく想う。青い星にて。



明治14年の今日、落合直文19歳遊学のため東上の途で、箱根湯本の福住楼に泊まり、8日小田原を経て、鎌倉に行き、三橋屋に泊まり、翌日周遊し再泊する。横浜金沢の西村屋から舟で横須賀に行き造船所を見学、松阪屋に泊まる。11日汽船で横浜に渡り、汽車で東京に着く。落合直文「村雨日記」より 当時の交通手段の一端がわかる。海路が使われていたことがよくわかり興味深い。海上交通が現在より普通だったことがわかる。


十月七日 [水]

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箱根湯本に流れる川の姿に、久しぶりで感動した。
生命の源の水の姿は、千変満化激しく変化する。
大気と風と岩と何者かに動かされ、変化し尽くす姿をひたすら眺めた。



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八月十二日 [水]

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望遠レンズで水のある光景を狙う。AFのレンズだとピンが手前に合ったり、奥にあったり希望の距離に定まらない。マニュアルなら希望の位置で定まるが、ファインダーで合焦しているか視力に自信がない。カメラ任せの領域が最近は増えてきた。如何に期待のイメージに出会うかの感の世界。上達よりも、何ものかに出逢いたい、意識が強くシャッターを切っている。時間の裂け目を斬っている。

六月十六日 [水]

ファミリーマートで買える本という、広告か書評かわからない雑誌のページに
『ブレない人はうまくいく。』仕事でも恋愛でも迷わない、”ブレない”人になるために
という頁があった。
ブレる人は、「誰が」言っているかを優先する。
ブレない人は、「何を」言っているかを優先する。
とある。ブレるとは何だろうか。迷って自分の考えを持たないことだろうか。
自分が、ブレないと仕事も恋愛も、うまくいくということなのか。気になるばかり。

かって仕事中に、同じことを言っても、言う人が変わると、相手が態度や聞く耳を持つことに悩んだ自分がいた。何故同じことを言っているのに、違って受け取られるのか。相手は誰が言っているかに重点を置いていたからだ。何をいているかより、その言葉以外に態度や人柄や、様々な情報を、「誰か」という情報に重きを置いていたからだ。今にして思えば当たり前なのだが、「何を」言っているかを聴かないその相手や、社会が理不尽に思えた。若いときに周りがブレない大人達だらけだったらどんなに良いかと悩んだ。そのお陰で数少ないブレない大人に出会うと嬉しかった。当時も今もブレない大人は、只の頑固者にすぎないのかも知れないが。

迷うことは最近は、大事なことだと思う。ブレることは人間として必要なことと思う。
ブレないことが、相手から嫌われても、必要だという世界はわかるが。
『智に働けば角が立つ、情に棹させば流される』バランスから言えばブレない人間が望ましいが、ブレがあるからバランスも取れるという解釈も成り立つ。程度問題かとおもう。今の世は智が先行しすぎている気配も多く、情の曖昧さが必要なのだと感じてしまう。

例えは悪いが、道を覚えるのに、地図を読むのに、「動いてしまう変わってしまうものを目印にするタイプ」と「変わりにくいもの、山や川やビルを目印にするタイプ」の違いも同様なのかと考えてしまった。

今朝は天から見た梅雨の大地をペンで描いて見た。指先のリハビリと脳の活性化を期待して
『梅雨の大地』と題しました。『つゆのわ』のがいいかもです。
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昭和28年(1953)の今日、街も村も自転車ラッシュ。本県神奈川は銀輪王国。都市8.6人に1台。郡部では7.2人に1台。バイクも増加中。

イタリアの名作映画「自転車泥棒」を思い出す。不景気の時代のイタリアと、昭和28年頃は重なるのだろうか、自転車の列と人々と街の喧騒、破れかけた石壁のポスター。あの頃は何か重い気分の毎日だった。今は原色にあふれ豊かになったのは本物の世界なのだろうか。

五月七日 [水]

水面に空が映っています。海の色も河の色も、空の変化を敏感に写しているようです。
否空と一体化しているのでしょうね。葉陰と水面の睡蓮の葉に興味が行きました。
透けた雲も主役のような気がしていますが、水が主役の想いです。

「青の民俗学」筒井功著を読んでいます。青は黄色までの色を含み、緑ももちろん含むようです。青のつく地名と葬制との関連について考察されています。

青という色が、空の色でもあり、水の色でもあり、宇宙の色でもあることに不思議を感じます。黄泉の国の黄と、青がつながることもこの本で知りました。黄表紙という江戸時代の本が、沖縄では黄色も青の範疇であることを知りなぜか納得です。青の時代は精神的な深みと、死の世界を連想させてくれますね。昔赤い星よりも、青い星のが高温である星という世界を思い出しました。

WIREDという雑誌で、「死の未来」という特集がありました。その中の近未来で亡くなった人を、NYのブルックリン橋の橋の灯りのエネルギー源に使う発想に驚きました。一年して亡骸からエネルギーのガスが消え去り、灯りも弱くなる光景。青い橋のシルエットに黄いろい燈のような照明が浮かぶ未来、何か凄いなーと思えます。

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明治37年(1904)海水浴取り締まり法、神奈川県は本年より、男女浴場の間に柵を設け、混浴を厳禁する方針。当時の海水浴場の写真で、「女浴場」と海岸の砂浜に高札が掲げられた写真を見た記憶がある。明治の初年には大衆浴場の銭湯が混浴を禁じるとして、男女が同じ浴場に入ることが出来ない時代が来ていた。水着を着ても男女の海水浴での混浴は、欲情を刺激するとした当時の感覚は、今のファッションから見ると何とも驚く時代だ。当時の人が今の女性達のファッションを見たらどんなに驚くことか、想像するだけでも楽しい世界だ。

鎌倉時代に源実朝が由比ヶ浜の海水で潮湯治をしたという。海水に直接入ったのか、海水をくみ上げ風呂として入ったのか定かでない。日本古来の温泉療法や湯屋の習慣が、明治以降の近代的な海水浴とどう繋がったのか興味深い。近代日本に男女混浴を恥ずかしい習慣として、諸外国の手前、禁止に持ち込んだ思想の本音も何故か探ってみたい。
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