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9月17日 [映画]

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iphoneを活用して撮られた映画の話を読んだ。
シン・ゴジラという作品
iphoneを何台も使って作られたのだそうです。確かに解像度も上がり、なめらかに見える画面、高価な撮影用カメラより、iphoneのカメラやスクリーンに見慣れた現在。リアルさは、よりあり、編集も、素早く、何より観衆の側もiphoneでも観れる時代。

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何か凄いが、当たり前になっていく事を感じました。あと数年したら、映画も好きなものをスマホで編集して自分なりのアレンジで、鑑賞が簡単に出来るそうです。古いゴジラ作品から、新しい作品のゴジラ迄、好きなカットを編集してBGMも自分なりにアレンジしてなんて、ふと考えてしまいました。このブログでも、何度も使い回しの画像を載せる事が多くなりました。
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編集で、新たなイメージが、生まれる世界です。

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4月06日 [映画]

昨日見た映画は、1978年カンヌ国際映画祭最高賞のパルム・ドールをとったイタリア映画「木靴の樹」という作品。同じ映画館で37年ぶりに再び見た。

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冒頭、トウモロコシ畑の収穫のシーンから始まる。19世紀の北イタリアの貧しい4軒の農家の家族の物語。すべて自然光で、役者を使わず本当の農民達で撮ったという3時間を超える映画だ。
中世の名画が動き出すように、画面の空、画面の中の大地、自然の音が素晴らしい。
地主の豊かな生活と、管理人の非情さ、農民達の眼差しと数々の寓話に満ちた出来事が淡々と綴られていく。イタリア映画のリアリズム作品、鉄道員や、自転車泥棒の世界に共通する温もりを感じられる映画だ。一本のロウソクとランプの下で数十人の4軒の家族が集まり、大人たちが交代で毎夜子供や家族たちに話をするシーンは圧倒される。共同体としての家族と子供たち。

日本の遠野物語のような世界を感じた。鶏のフンでトマトを育てる老人と少女のエピソードは記憶に残り37年間覚えていた。当時は暗い画面の連続と思っていた映画が昨日には何故か思ったより明るく感じた。現代の世の中が暗くなってしまった反映なのだろうか。

ミラノに新婚の夫婦が出かけるエピソードは何か新しく見て胸が詰まった。修道院の12人の晩餐のシーンが、最後の晩餐の構図とそっくりで、自分がミラノの出張で見た最後の晩餐と、ドーモの聖堂のシーンが映りハッとした。映画の中の晩餐は、新婚夫婦の最初の晩餐だったのか。翌朝夫婦の赤ん坊が差し出されるシーンは、キリストの誕生かと深読みしたりして。ミラノのデモ隊の鎮圧の騎馬警官たちも現代に通じる大きな流れを感じ、決して古い映画ではないことを確信した。
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6時間をかけて学校に歩いていく少年の木靴。割れた片足をぶら下げて帰り、靴下も脱いで寒い道を歩いてきた。その日少年の弟が、生まれていた。母親からお祝いにと白パンを貰う少年。
何か懐かしい思いが甦る。

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荷車を引く馬車、解体される豚のシーン。積み上げられた薪、農家のベランダに干されたトウモロコシ。新婚の二人が早朝教会に向かう草原の花と絵画の中の太陽のような日の出。

ふと、現代のアメリカのアーミッシュの人々を思った。100年前のイタリアと、現代のアメリカのアーミッシュの人々。イタリアから移民で新大陸に渡った家族もいるだろう。現代のアーミッシュの人たちも文明の利器は極力長い時間をかけて吟味してから生活に取り入れるという。
100年前の人々の豊かさと、現代の豊かさの大きな違いと、その中でしっかりと繋がっている何かを映画の中に見た気がした。


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    未来は何故か懐かしい 過去は何故か新しい


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1978年は世界でテレビが活躍を始め、映画の時代が終焉を迎え始めた時代だそうです。今はテレビが終焉を迎え、スマホやインターネットの時代になってしまいました。家族とは何か世界とな何か、
「木靴の樹」は未来を教えてくれたような名作でした。


木靴の樹  関連情報http://www.zaziefilms.com/kigutsu/

3月23日 [映画]

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30年以上前だろうか。イタリア映画の木靴の樹 という作品を思い出した。  
暗い画面が多く、冒頭のポプラ並木の疎らな樹間を走る荷馬車のシーン、おじいさんが、トマトの苗に鶏の糞を肥料に与えて子供達に何気に教えるシーンが蘇る。イタリア映画の名作、自転車泥棒も好きだ。リアリズムの映画手法がアメリカに渡り、俺たちに明日はないや、小さな巨人、卒業等のアンハッピーエンドの作品を生み出していった。
映画の歴史とその内容は、今も社会提起をはかるものが多い。時間の流れを引き決めに見ると、世界の情勢が見えてくる。

映画は今もプロパガンダの力を発揮出来るのか。アンチハリウッドの世界に思う。

三月二十七日 [映画]

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大磯駅前の小高い山の中腹にある桜が満開だ。一番桜と呼んでいいような咲き始め。桜の老木は駅前の広場からは見えない。日本最始のツーバイフォー建築という洋館の横をうねるように降りていく坂の木々の中の大空に咲いている。咲き誇る桜は坂道を足元や前方を見て歩く限り桜には気がつかない。数年前の四月の半ば、新緑が山を包み笑い出したような頃に、坂を歩く頭上に白く舞い降りる花びらを見たのが最初だった。真上に覆いかぶさるように咲く桜は、山桜のようだガラス細工のように光を通す、花たちの間を沢山の小鳥が行き交っていた。人々は道を行き交うのに忙しい。地上のそのすぐそばに咲き誇る花の姿を見て、楽園はこんなにも近くて遠いものかと溜息をついたのだった。

一昨日観た映画『妻への家路』のシーンが断片的に思い出される。夫に急いで大きな饅頭を作る妻の姿、生成り色の乳房ほどもある饅頭が並ぶ。練炭ストーブの上で湯気をあげる取っ手に古裂が巻かれた真鍮の薬缶。エイゼンシュタインの戦艦ポギョムキンの階段シーンのような俯瞰で撮られた跨線橋の群衆の中で転がる饅頭。夫が作る幅広の麺の熱々のシズル感たっぷりの丼のアップ。妻が布に包まれた蓋つきの鍋をとると沢山の餃子が並ぶ場面。餃子を運ぶ妻の姿は外に出て一瞬輝くような爆竹のシーンが胸にしみて滲みは消えないまま。ほんの一瞬の春節の気配が長い映画の中でこんなにも素晴らしい効果を上げているとは。紅衛兵の緑と紅と、毛バッジの鮮烈な赤。冒頭の列車疾走のシーンは巨大な時代の流れが疾走していく様に思えて圧巻でした。その列車のシーンは、映画の最初の頃に人々が自分をめがけてスクリーンから飛び出す列車のシーンとも重なり合う気がしたのです。映画もたまにはいいものです。

明治43年(1910)湘南大磯の茶屋町で別荘用地一坪82円で買い上げ。当時の小学校教員の初給料15円。現在の15円が初任給20万円として一坪110万円少し高すぎでは。


三月二十六日 [映画]

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『中国文化大革命の大宣伝 上・下』草森紳一著を数年前から読み始め、未だ完読していない。上巻の三分の二迄ようやく達した。総ページ1000頁の巨大な歴史のレポートだからだ。
文化大革命は1966〜1976年の10年間、毛沢東が亡くなった1976年に文革の終結宣言が出るまで続いたという。
共産党中央委員会は、この革命での死者40.0000人(40万人)、被害者1.0000.0000人(1億人)と推計した。
釈放された知識人たちの殆どが元の職場に戻り、1976年以降給料を支給され、経済的な援助を受けたという。

昨年2014年に中国で公開された映画「帰来」「COMING HOME」日本でのタイトル『妻への家路』を昨日横浜で観てきた。映画館は東宝シネマの最も小さなスクリーン。平日の為か鑑賞者は最初は知人と私の二人だけの貸切席状態。
開映近くに十名程が入り役12名で最後まで鑑賞か。北京オリンピックの総合プロデュース監督の作品をこれだけの鑑賞者で見る贅沢感。

映画は1974年の文化大革命最中の北京が舞台(原作は上海)、北京の鉄道の線路と階段下に身を隠す主人公と、列車が通過していく凄まじい重なったシーンが感動的だ。逃亡のため溝鼠のような主人公の教授が水溜りの水に手拭いを浸して、顔を拭うシーンが圧巻だ。鉄道と駅の跨線橋と群衆の蠢く俯瞰される構図。紅衛兵の兵士の役を舞台のダンスで踊る主人公の娘、銃を構え、トーシューズのつま先が回転する迫力。見応えのある映画でした。カメラワークと小道具たちが震えるように感動的です。自分は41年前の日本で何をしていたのか?
映画の時間の流れとともに考えさせられました。日本人にも必見の作品だと思うのでしたが。

画像は昨年手に入れた中国の昔の家庭で使われていた湯たんぽと、文化大革命の宣伝 上下巻、映画『妻への家路』のパンフレットから。雪の日も、雨の日も、晴れた日も、駅の出口に立って夫の名を書いた看板を掲げて、20年ぶりに帰ってくる夫を迎えようとする妻の姿が目に焼き付いています。

1990 [映画]

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1990年頃は、よく中国映画を見た。神田の岩波ホールだったか、中国映画の特集があるとよく足を運んだ。最初に見た映画は「菊豆」だったか。
ストーリーは、1920年代の中国。大金を積んだ50歳過ぎの染物屋・楊金山にのもとに金で売られて嫁いできた若い女・菊豆(チュイトウ)。金山は前妻二人もDVで死に至らしめるという札付きのサディストであった。自分に子を作る能力がないことを知らない金山は、子が出来ない怒りを菊豆にぶつけ毎日のように折檻を繰り返す。同居する金山の甥の楊天青は菊豆に同情し、菊豆もまた天青に惹かれていく。入浴中に覗き見られていることから菊豆は楊天青が自分に思いを寄せていることに気づき2人は不倫関係に落ち、やがて天白が出来る。楊金山は脳出血から中風になり、病身において自分の子ではないことを知らされ、天白に辛く当たるがやがて天白への愛情が芽生える。以上ウイキペディアより。
張芸謀(チャン・イーモウ)監督、鞏俐(コン・リー)の虜になった。
流れる背景に漂う世界と、色彩感覚が凄い。「菊豆」では染物屋が舞台で興味を惹かれた。はためく布、染料の瓶、水の多く出るシーーン。濡れた石畳。朽ちかけても木の光沢が残る扉や建具達。様々な道具。衣裳も魅かれた。汚濁と清潔な世界が隣り合わせた世界。匂いや香りが濃厚に映画の中から感じられた。中国の山口百恵さんといわれた、今では大女優の鞏俐作品は、紅いコーリャン 紅高粱 (1987年)菊豆(チュイトウ) 菊豆 (1990年)紅夢 大紅灯籠高高掛 (1991年)さらば、わが愛/覇王別姫 覇王別姫 (1993年)上海ルージュ 揺啊揺!揺到外婆橋 (1995年)
花の影 風月 (1996年)始皇帝暗殺 荊軻刺秦王 (1998年)と見て来た。大作、さらば、わが愛は最も好きな作品だ。紅夢のあの赤い大提灯の世界も好い。
2013年横浜中華街の春節で賑わう町を通り抜けた。
鉄檻の中の爆竹も威勢よくはじけて獅子が店店を廻っていた。
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関帝陵前の通りも昔よりかなり賑やかになっている。中華門もあちこちの通りに出来ている。
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行列のできる店があちこちに多い。お客さんの国籍は、台湾か、中国か、香港か、韓国か、日本か、アジアのどの国かわからない人が多い。数人のグループだと何故か、髪型や服装、言葉から国の推定がつく。
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町外れに数ヶ月前に出来たというベトナム料理の店に入った。中華街でベトナム料理。大陸は広い中国の各地でも様々な味の違いや食文化があるだろう。国境を陸続きに渡ればベトナムも中国も隣国同士、味の差は少ない部分も多々あるようだ。サイゴンスペシャルのビールの香り、大好きな青島ビールの味と共通うする懐かしいものを感じた。
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横浜の中華街、新華僑の人々が表通りに進出をして安売り競争に歯止めがかからないという。古きものと新しいものが人々の胃袋に入る。
酒も新しいものと、古いものとの酒袋をどうしたらいいのか迷うのだろう。
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きな臭いメディアの報道が何か空しく感じ、関帝に賽銭を奉じた。
庶民の絆は強いのに、何故政治家達はきな臭さを求めるのだろうか。
おおきな時代のうねりを魅せてくれた「さらば、わが愛」の世界再見しなければと思った。

2012 [映画]

1995

1995年制作の映画『SMOKE』を観たのは、何気に借りてきたビデオ屋の棚から抜きとってきたビデオだった。十年以上にわたって、毎日店の前で決まった時間になると、写真を撮る店主の光景に何故か引き込まれた。三脚を立て、ブルックリンの下町の道往くひとを撮り続ける。そこに写った人物が又ドラマを引き起こし重要な鍵となり、映画の最後にその撮影する日本製のカメラの話が登場する時には思わず涙ぐんでしまった。物凄く低い聲で流れるBGMがより感動を増幅させた。
いつかもブログに書いた映画の続きは、自分も何かを真似たいという小さな衝動だった。

当時シャープのザウルスという機器を使っていた。簡単なパソコン通信もつなげることが出来た。そのザウルスに、映画を見た翌日から、昼食を何処絵何を食べたか記録するようになった。場所、時間、店の名、食べたメニュー、値段等、毎日記録した。三年ほど続いたであろうか。ある日電池切れでメインスイッチの隠れボタンを誤って押し、全てのデータが消えた。何か清々しくその瞬間を思った記憶がある。あっとおもい残念と思った後のことなのだが。
最近は身の回りの空気のような画像が、美しいと思えるようになった。
風も、光も、さやけき音も、愛しくなったのはあの日の、後からなのだろう。



気配

風の囁き

ゆめ




田村修司様へ、よろしくお伝え下さい。
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1995 [映画]

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1995年制作の映画『SMOKE』を観たのは、何気に借りてきたビデオ屋の棚から抜きとってきたビデオだった。十年以上にわたって、毎日店の前で決まった時間になると、写真を撮る店主の光景に何故か引き込まれた。三脚を立て、ブルックリンの下町の道往くひとを撮り続ける。そこに写った人物が又ドラマを引き起こし重要な鍵となり、映画の最後にその撮影する日本製のカメラの話が登場する時には思わず涙ぐんでしまった。物凄く低い聲で流れるBGMがより感動を増幅させた。
いつかもブログに書いた映画の続きは、自分も何かを真似たいという小さな衝動だった。

当時シャープのザウルスという機器を使っていた。簡単なパソコン通信もつなげることが出来た。そのザウルスに、映画を見た翌日から、昼食を何処絵何を食べたか記録するようになった。場所、時間、店の名、食べたメニュー、値段等、毎日記録した。三年ほど続いたであろうか。ある日電池切れでメインスイッチの隠れボタンを誤って押し、全てのデータが消えた。何か清々しくその瞬間を思った記憶がある。あっとおもい残念と思った後のことなのだが。
最近は身の回りの空気のような画像が、美しいと思えるようになった。
風も、光も、さやけき音も、愛しくなったのはあの日の、後からなのだろう。
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気配
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風の囁き
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ゆめ
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1998 [映画]

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1998年制作の中国映画、冒頭のシーンの殺し屋の眼が見る光景が妙に印象に残っている。簾のような顔の前に揺れるものは何が原点で作られたのだろうか。始皇帝の被り物でも王の権威を象徴するようにぶら下がり揺れていた。イヌイットは雪の光景を見る時に横にスリットの入ったメガネを使用するそうだ。目の前の簾はサングラスの一種なのか。眼を隠し皇帝の権利を高める役目なのだろうか。暗殺者の前の簾が今も気になっている。映画には大好きな女優、鞏俐(コンリー)が出ていた。
映画の中で始皇帝が作らせた巨大な地図が広げられる。征服された民族が制作したという設定だったように思う。始皇帝は等倍の縮尺の地図も求めたという話を聞いた事がある。等倍の地図とは、もう一つの世界を制覇したい皇帝の意志を反影しているのだろうか。
世界は今、精密な世界の構造が判明され、地形や、物質の存在が、ナノ単位で理解され、始皇帝の等倍以上の世界の地図も可能になった。
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母親が学校で使っていた地図を、自分が小さかった1950年代見た記憶がある。大日本帝国地図と書かれた其の表紙の中味には、台湾も韓国も真っ赤に塗られていた。戦後生まれの私には、何かよその国が日本の領土という感覚に馴染めなかった。母親の世代では当然だった世界が太平洋戦争後に無くなった事に残念さが残っていたのだろう。
国とは今何なのか考えさせられる時代だ。父親が読んでいた「わが闘争」という本も家の中で奇妙に関心が高かった本であった。
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写真が好きになり、憧れは8X10というサイズがいつかはとの、頂点だったが、ネットでスキャナーカメラという存在を知った。スキャナーが大型カメラのバックでスキャンする世界、魅惑的な画像があった。非常に興味がそそられる。大型カメラという存在が何故か、始皇帝の地図の話とラップする。世界を映し出すカメラという存在は今でも危険な魅力に溢れているのだろう。この世界、カメラも地図も男達の関心が高いのは何故なのだろうか。
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海の見える坂の光景に、にわたずみが映り、水の惑星がこの星だと
今更ながらに想った。
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1963 [映画]

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1963年アルフレッド・ヒッチコック監督の作品「The Birds」は鴎が港のガソリンスタンドを見おろす俯瞰の光景が印象に残っている。鳥達の異常な行動でパニックになった人々と炎と煙が上がっていたような気がする。どのように撮影したのだろう。空を飛ぶ鴎の視野に、鴎の脚まで画面に映っていたような気がするのだが。
先日Nikonのレフレックス500㎜のレンズをデジタルカメラにつけて2012年の港へ出かけた。映画から50年近く経っているのだが、レンズは30年以上前に購入したレンズ。手持ち撮影で35㎜換算で望遠750㎜の世界は楽しい。鴎の胸の羽毛が指でつつけそうな距離だが彼の目は鋭い。
あの口も鋭く、映画の中のインコ『LOVE BIRDS』と対照的だった。
映画は小鳥屋のシーンが冒頭出てきて、沢山の小鳥、カラス、鴎達が人間を襲う映画だった。
監督は洒落っ気が好きだった。駕篭の鳥の彼女、駕篭のなかのインコと、下界の鳥。主人公のシャトリューズ・グリーンのツーピースのドレスが鮮やかだった。
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鴎は格好の獲物を見つけた。砂浜で砂湯を楽しむ「すなゆ同好会」の人間達だ。無防備に頭を秋の日射しにさらす砂ノ中から顔だけ出したスタイルは、畑のスイカをついばむより簡単だ。
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彼方に江ノ島が浮かぶ、右手に浮かぶのは茅ヶ崎沖の烏帽子岩。
流石に海の気流で画像は霞んでいる。

大亀の秋を歩むと子規の詠み SILENT

明治20年代正岡子規が大磯の此の地にやってきた。
松林から望む海岸からの江ノ島の遠望を、亀に例えて一句詠んでいます。

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望遠レンズは手振れと、ピント合わせが難しい事実感しました。液晶画面だけでの撮影は無理ですが感で撮影。ファインダーが必要な事実感。
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リングボケは、うまく使いこなせばいい絵が撮れるのでしょう。
Nikonの50㎜標準レンズで以下撮影。
虫の出てくる映画は、「サンダ館18番館」の冒頭シーン田中絹代を演じる女性を尋ねた主人公が、家の開き戸を開けた瞬間沢山の百足達が襤褸畳の裏に姿を隠すシーンが忘れられません。
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立ち上がり旅にたつ虫
河の流れも秋の気配 秋の色
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一年草だそうで「白玉白雪草」だったかな
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時雨の螢
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山葡萄もまだまだ緑、今年は彼岸花もまだ赤子のあそこのような小さな蕾
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足元に

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秋に燃える
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時雨の緑、蚊帳の外
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