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7月30日 [時]

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大正3年(1914)の今日、今から102年ほど前の湘南大磯で、玉乗り興行一座が、北本町の空き地で興行を始めた。海水浴客や避暑のための別荘族で賑わう光景が目に浮かぶ。100年前の芸人はどのように見られていたのだろうか。「伊豆の踊子」を思い出す。1926年発表の川端康成作品だが、その時代背景や、当時の人々の階級社会や差別に対する考えは、今も変わっていないのではないか。

私が高校生の授業を受けた1960年代中ば、国語の教師が真剣な顔つきで、伊豆の踊子の教科書に載っていない点を指摘できた生徒には、最高点を出すと教壇で言った。伏字となっていた原作の部分を今も知らないが、職業での貴賤貧富を封印してきた社会が、教師には耐えられなかったのではないかと今にして思う。

昭和4年(1928)の今日水不足深刻、共同井戸では妻君達が喧嘩。旅館では隣町の平塚からトラックで水。
昭和8年(1935)名士の避暑。徳川公爵、原田熊雄、三井八郎右衛門、稲葉子爵、中村時蔵、木谷実氏ほか7000人に達す。

海水浴場に隣接した下町や近隣の町内では二階屋を早くから建築し、夏休みの期間中、家族は物置で寝起きをして、家は間貸や借家にして一年の生計費のほとんどを夏の三ヶ月で稼いだという。
明治18年から始まった海水茶屋(現在の海の家)の稼ぎも相当なものであったろう。

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       玉乗りが舞わす時代や海の家  無音








4月11日 [時]

千葉県佐原市の国立歴史博物館を見学した。縄文時代から現代に至るまでの時代ごとのジオラマが楽しい。十数分の一の模型と人物たちは当然ながら静止した時間だ。ふと始皇帝が指示した兵馬俑の人物たちの大きさを思った。等倍より大きめの人物や家に動物たちが作られたら、この地球がもう一個必要になってしまうと。時代ごとの物語を写真撮影オーケーという環境の中で楽しんだ。神の視点で。俯瞰して。
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写真撮影禁止のコーナーも数箇所あった。正倉院御物の展示から、差別に関する歴史の展示、満州事変関連のコーナーから。何か撮影禁止の博物館側の意図が何なのか逆に興味を惹かれてしまう。

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時代の物語は、このジオラマ以外の外の世界のがいかに多様だったか教えてくれる。決してジオラマが完成度が低いと言っているのではない。次元の問題だ。選ばれた場面は、選ばれなかった場面を鮮烈に思い起こしてくれた。


    ジオラマの外の世界は春爛漫     無音


    見下ろして吾は仏か春の空      無音


    進撃の巨人の気持ち春の日に     無音


    この国の歴史の一齣春が行く     無音


    動き出すジオラマの未来青嵐     無音





3月7日 [時]

大磯駅周辺の昔と今
明治20年開業当時の国鉄大磯駅初代の建物
彩色は横浜写真の手法か
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下り列車は客車と貨物の連結編成。駅前で発車時刻の前には鐘を鳴らして知らせたそうです。

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招仙閣という旅館が駅の山側にあり、駅から歩いて1分。伊藤博文公もこの旅館で大磯滄浪閣建設の指揮をとったという。その伊藤博文が使っていたという寝台で、横浜富貴楼のおかみ、お倉は亡くなったのも招仙閣だという。
大正初期の大磯駅.jpg
大磯招仙閣.jpg

大正時代の大磯駅、駅前の人々は演出か。
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大磯駅を東京方面へ向かう蒸気機関車
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        春雨か霧が包みし陸蒸気  無音






2月6日 [時]

昨日は箱根湯元にいました。湯本の繁華街の路地をはいった一角で素敵な薬局を見つけました。表に大正時代の箱根の写真がたくさん展示され、壮観です。薬局の中にもどうぞと案内され階段三階まで、箱根の絵葉書所で満載です。先先代の方が絵葉書の原板を撮影し、絵はがきにして観光用に販売されていたようで、ガラス甲板から引き伸ばしたモノクロプリントも額に入り並びます。撮影されたカメラも置かれ凄い。朝方湯本の先塔の峰の、阿弥陀寺の大正時代の写真もあり茅葺き屋根で写っています。
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江戸時代の今から300年前に小田原の久野という大きな庄屋さんの家を本堂にしたそうで、大黒柱は幅60センチはゆうに超えていそうな構えです。
昨日撮影の阿弥陀寺は、以下の姿です。
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皇女和宮を祀る寺院としても有名なのだそうです。紫陽花が苔むした参道に咲くころは多くの人がお訪れるそうです。現在の住職が琵琶の名手で、琵琶寺、または紫陽花寺とも言われているそうです。
日本に四つしか現存しないという、巨大な数珠を回す装置が本堂の前に寄進されています。数珠の話を回すと木のきしみでチベットの山頂に鳴り響くような重低音の音が体の上に滝のように落ちてきて快感です。
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皇女和宮は麓の旅館、環水樓で静養中に逝去されたそうで、伊藤博文の薦めで東京から来られたとのこと。徳川家の将軍家茂は若き生涯を終えていた時のことです。阿弥陀寺には家康が戦場にも運んだという念持仏が和宮に贈られこの寺で拝観できます。和宮の写真も小さなものが祀られていました。
小さな写真では彼女の指先がなかったという真相もわかりませんでした。
篤姫も菩提を弔いに此の地まで訪れたということです。
激しい川の流れが姫たちの生涯を知っているかのように流れていました。
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熱海の昔の写真も、湯本の薬局には飾られていました。
坂を降りれば海があったのでしょう。大正時代の熱海でしょうか。
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早川の河縁をしなやかに猫がやってきます。野良かな

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  水のように体運びし猫の春  ムオン







2月4日 [時]

昨日は秦野出雲大社分社の節分会に、行ってきました。
伊勢ヶ濱部屋の、横綱日馬富士や、安美錦と関取たちが、豆撒きをしました。
豆撒きは、沢山の人出で、福豆1袋だけゲットで満足しました。
隣のおばちゃんは、10袋ゲット。流石です。
帰り道ドブに景品の紙を抜き取った豆が、無残に捨てられているのを見ました。

捨てたひとには、何か罰当たりの事が起きるだろうと思い悲しくなりました。
飽食の時代、飢えとは何か知らぬ人なのでしよう。

日本人力士の活躍も少ない事が、豆の姿と重なって当然のように思えてきました。
豊かさとは何か考えさせます。
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十月二十八日 [時]

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   新たなる文字見て秋の空を見る  無音



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時が過ぎ、看板の文字に風格の割れ、罅、破れ、古色、が滲み出てきていた。
街中で鏡の中の自分を見る。思わずこんなに年をとったのかと唖然とする。風格はないが古色はかなりついた面構え。店の人も、駅員も、皆々なんと若く見えることか。

八月二十日 [時]

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秋田県八幡平の北側に位置する温泉に昨日から来ています。
東北の山間部では既に、小さな秋の気配。



銃口は冬の時代か秋の空 むおん




七月九日 [時]

錆びたトタン板を見ると何か郷愁が湧いてくる。鎌倉の腰越の海岸に黒トタンの小屋があった。波板を縦に横にパアチワークのように貼り合わせ横長の小屋は、丸太が支えていた。いつしか取り壊され小綺麗なショップになった。襤褸のように錆び錆びのトタンと黒いコールタールで塗りたくったような外壁は、古武士のような趣があった。錆びた釘穴の場所や、朽ちた端の隙間から夏の日差しが、砂の床に差し込む光景が浮かんでくる。トタン屋根にはトタンの壁が似合う。小田原で空き家のようなトタン張りの家を見た。殴り書きのようなペンキの色が、思いつきのように塗られ、何色もが調和しているように見えたのは時の経過のためなのでしょう。色褪せ時を刻んだ家でした。
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明治42年湘南大磯の、大磯座開業以来毎日客止の盛況。
大正2年大磯のダリア盛況。この時代の花の女王か、来磯者続々。
昭和8年涼味百パーセントの海の爆破作業で、漁港の建設中。
昭和10年中郡水産会社が払い下げの潜水艦、三浦の浦賀ドックで7日解体、8月に大磯沖瀬の海に設置。松竹キネマが撮影出願。瀬の海には戦後も潜水艦を設置、何隻も沈んでいるのか。

七月七日 [時]

七月七日今日の天候は湘南地方曇り、本家中国ではなく日本の湘南地方ですが。一昨日の金土日曜日隣町で七夕祭りがあった。本来は今日が七夕の日だが、人手と経済効果を求めると休日開催は当り前、旧暦では8月になるのだが、こちらが本来のものなのか、どの日が重要かと考えるとわからない。精神的なものと、経済効果のあがる日と役割が違うのだろう。

新聞に「文化芸術懇話会」とあった。日本政府が指導して『誰もがわかりやすい政策芸術を極めることが重要だ』とある。何かわかりにくい。文化芸術は政治とどれだけの距離があるのか。
ヒットラーは画家になろうとし、挫折したと聞いたことがある。彼が画家になったら世界はどう変わっていたのか。退廃芸術博覧会とかやらが企画された時代。「文化・芸術が政治と付き合うことには危険性がある。が反面科学の基礎研究と同様に、先端的な芸術は経済援助が必要だ。かっては王侯貴族がパトロンだったが、民主主義国家できちっとした文化政策は必要だ」という声もある。

国家政策の芸術、指揮者であり首相という人物がある国であった。この国の今の指導者の考える「文化芸術」とは何か。作家会田誠氏の一言が心に沁みた。「国家プロジェクトの誘惑は常にある。そうしたものへの憧れを抑える、誘惑との戦いが、僕の作品の動機にもなっている。
エンターメント性の高い芸術や、人を感動させる作品には、『精神的な詐欺』のような危うさがある。」と語る。彼が最後に、芸術の受け手の『感動と一体感には警戒が必要だということで』熱くなる国民みんなの裏側に『ひとりぼっちで冷める』とバランスを保つことが必要だという。流されないために。ひたすら静かに見つめることが大事だと。

数日前、隣の大国で中国に突如として現れた女性アイドルグループ「56輪の花」。そのグループ名が示す通り、56人の女性で構成され、人気アイドルグループAKB48を意識したのか、“世界で最もメンバーの数が多い”アイドルグループとうたっていました。
7月1日、オフィシャルサイトが立ち上げられるなど、目下、売り出し中ですが、一方で、非常に政治性が高いグループでもあるようです。「56輪の花」の56という数字は、“国内に存在する56の民族を指す”と民族融合を強調。彼女たちのステージの後ろには、毛沢東・元国家主席や人民解放軍などの映像が延々と映し出されていました。そのうち彼女たちの総選挙も行われるそうです。このニュースを見たとき彼女たちの姿が紅衛兵に重なりました。そして紅衛兵は当時中学生から高校生の年代がなったのだが、紅小兵という小学校の集団が次に時代に育てられたということも知り教育の恐ろしさを実感しました。権力の支配、そのまた上の権力の支配、キリがありません。芸術とは個人のものなのでしょうか。国家が介入すると魂が入らない気がするのです。退廃芸術の時代何よりも政治が退廃し腐敗していたのでなないのでしょうか。同じ轍を踏まない!人間たちはそそっかしいものです。轍に入ると足元が見えなくなってしまいます。
隣の国も、我が国も何か鏡の裏表のように一つに見えてしまいます。お互いの違いをいうことのすべてが事実をかすめているからです。事実はたった一つなのに。

今朝もひとりで明るい未来を祈ってしまいました。『ひとりぼっちで冷める夏2015』
冷めるは、覚めるであり、醒めるでもあるのです。

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六月十一日 [時]

昨日は時の記念日でした。
大正13年6月10日 時の宣伝のため、湘南海岸で花火打ち上げ。各寺院は一斉に鐘をつく。
昭和9年湘南大磯町各神社仏閣で梵鐘を正午に鳴らし合図。
時を知らせるチャイムは今も町役場の管理で各町のスピーカーから流れる。
時を知らせる鐘の音が消えたのはいつの頃からか。

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藤沢市のパナソニック工場跡地にできた、スマートシティを訪ねてきた。代官山蔦谷書店の編集されたショッピングコーナーを中心に、低層マンションと、戸建て住宅が広がっている。
第一印象は、映画シザーハンズに出てくる丘の上の住宅街のイメージだった。何か人の気配が少ない。巨大な太陽電池の壁が住宅周辺、住宅の屋根を覆う街だ。世界に多くのスマートシティが生まれている。未来を予測する巨大なITタウンなのか。何かバラ色のイメージが一切湧かなかったのは自分がひねくれているからだろうか。何かが気になる。
何のための豊かさを、人々は求めているのか、考えさせてくれる街だった。
何がきになるのか? 答えはゆっくり探したいと感じた。

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