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明治26年のメンデルソン夫人 [物語]

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画像は明治26年大磯駅を走る下り列車。明治25年療養のため大磯にきたセシール・ダンカン嬢後のメンデルソン夫人は一年間此の地で療養したという。彼女が18歳の頃である。
明治20年東海道線が開通してからまだ間もない頃の事である。
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貨物と客車の連結された列車が大磯駅に停車している。撮影年代は同じく明治26年頃。
右手一帯に広がる小高い丘は岩崎弥之助別荘、見晴らしがよく東に江ノ島、西に富士山を一望したという。此の地に戦後エリザベスサンダースホームが開かれる。
下は現在の大磯駅からの光景、右手にサンダースホームの森が見える。明治の頃は樹木がなくその頃植えられた木が現在は緑濃く駅周辺をかたちづくっている。
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メンデルソン夫人が療養中の祷龍館は照が崎海岸にあった。彼女は祷龍館に出入りする〆吉という父が旗本出身の芸者と知り合い、終生の友人関係を築く事となる。〆吉の晩年に、その生活費の足しにとメンデルソン夫人は小唄を習う事で、かなりの月謝を納める事にしたという。
青い目の老婦人と、芸者〆吉の出会いは明治25年であったことを、獅子文六著「アンデルさんの記」から知る事が出来た。
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昭和の初期迄祷龍館は経営者が変われど営業していたという。客室50、徳川将軍14−15代の御典医、松本良順のちの軍医総監松本順の発案でつくられた医者も在中する旅館で、食事は西洋料理を宿泊代とは別に清算し、和食が好みの客には仕出しをとったという海水旅館であった。
画像右手に祷龍館はあり、箱根や伊豆半島、大島を展望できる。画像の山は遠方、右寄り金時山、神山、明神岳。左手松林の方面に明治39年メンデルソン氏と結婚したメンデルソン一家は3千坪の地に別荘をつくる。手前の海岸は照が崎から望む こゆるぎ海岸。
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戦後エリザベスサンダースホームが出来、メンデルソン夫人も手伝う。彼女の父は英国人、母は伊那出身の日本人。混血児の気持ちが誰よりもわかったからという。昭和25年中央の銀髪の夫人がメンデルソン。中央の司祭の右手に立つのが創設者澤田美喜さん。かって岩崎家の別荘だった離れの一室で。
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ホームにパールバック女史を迎えたときの澤田美喜さん。昭和35年。
母なる海はかわらない
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あの時の海も 今朝の海も
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日は沈み 日は昇る
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コメント 4

駅員3

大磯駅の風景が、風情があって、素敵ですね[ひらめき]
この頃の東海道線にはどをな人達が乗っていたのか、想像してしまいました!
by 駅員3 (2010-11-29 19:37) 

吉之輔

こんにちは、お話を聞いて色々なこと知りました、
有難う。ご訪問ナイス有難う、此れからも宜しくね。
by 吉之輔 (2010-11-30 10:23) 

寂光

二つの時間が上手く絡み合っていつもながら素晴らしい記事の作りだと関心したします。私の浅い知識と未熟で拙い語彙力ではとうてい真似などできません。読ませて頂く事でいつも心満たされます。
by 寂光 (2010-12-09 21:11) 

井上ラウラ

私はイギリス出身、長野県、小諸市で住んでます。せシールさんのお父さんの親戚です。もっと研究したいです。ちょっと案内いただけますか?よろしくお願いいたします。
by 井上ラウラ (2018-11-15 11:36) 

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